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あめの暗い話
人によっては気分が悪くなったりフラッシュバックしちゃったりするかもしれない、読むのは自己責任でお願いします。
まず幼少期の記憶のほとんどは両親の言い争う声と父の怒鳴り声と全て終わった後に1人で泣く母の姿
あめが産まれる前から父は母や兄を殴ってたらしい
多分幼稚園くらいだったけど、怖くて泣きじゃくる私に、母が包丁を向けて、やっぱりやめて、泣き崩れる映像が鮮明に頭に残ってる
兄妹と遊ぶのだけが楽しかった
小学校3年生くらいで、いちばん仲良しだった子に突然いじめられた
いやいじめって程ではないかもしれない、勉強ができなくてからかわれて、一緒に行動してくれなくなった
当時の私には結構ショッキングで、これだけが原因かはわからないけど、場面緘黙症になった(場所により話せなくなる症状。私の場合学校で声が出なかった。相槌が精一杯だった。家や同じマンションの下級生の子とは話せた)
1人になった
何も話せないしずっと俯いてるし、立ってるだけでびっくりされて、よく幽霊みたいって言われた
中学にあがるまで誰とも話さずに残りの小学校生活終えた(同じマンションの下級生の子とたまに遊んでた)
成長期に周りの子より人とのコミュニケーションをとれていなかったので言語化能力が未発達でコンプレックス
小学校の時から絵描くの好きだったから、中学2年生くらいで勇気振り絞って美術部に入った
友達がぱらぱらできて、緘黙症がゆっくり治っていった
嬉しかった、よかった
趣味の友達もできて中学は割と楽しかった
高校で初めて告白された、女子高だから女の子だった、初めて人と付き合った
恋愛の仕方なんて知るわけないからいわゆるメンヘラが爆誕したし、普通に男と浮気された
終いには私が付きまとってくる、みたいな言いふらしされて、友達も居なくなってまた1人になった
家に帰っても両親が喧嘩してて、高校生になる頃にはまたか、くらいに思うようになってた、けどもちろんずっと怖かった
怒鳴り声から耳を塞ぐためにイヤホンで出来るだけ激しい曲聞いてた、音楽に助けられてた
(マキシマムザホルモンがちょうど良かった)
父が母に馬乗りになって言った「俺と子供どっちが大事なんや!」が忘れられない
自分の体がふにゃふにゃになった記憶がある
学校にいても家にいても怖くて苦しくて
母にはこれ以上負担かけられない、と思うとなにも相談できなかった
捌け口がなくて、父の仕事道具入れからカッター持ち出して自傷行為し始めた
だんだん死にたいってはっきり思うようになった
でも死ぬ勇気はなかった、母がもっと苦しむと思ったし、私だけ逃げるのはずるいとも思った
小さい傷だったけど、20歳くらいの時に流石に増えすぎて母にバレた
母はあめは何も相談してこないから強い子だと思ってたらしくてすごくショック受けてた
母の負担になるような心配をかけてしまった、とすごく後悔したから頑張って辞めるようにした
けどやっぱり捌け口が見つかんなくて我慢すると余計苦しかった、なかなか辞められなかった
見えないところなら心配かけないかな、とか、
痣なら消えるし殴れば…とか考えてた、おバカだね
その後有難く優しい恋人が出来たり、有難く気の合う友達が出来たり、仕事を始めたりで流石にまずい、と思い自傷は自然としなくなったし、もう絶対にしようと思わない、大丈夫
父からも2年前くらいから逃げて別居してる
以前よりは何だかんだ心が軽くなっているし、たくさん大好きな人ができて楽しい
上手く話せなかったり不安でまだ暗いことポツポツ言ったりしてしまうけど、いつものことか〜と思って流してくれたら助かる
あめの過去のことでした、ふーんって思っててください